No.010 権力の品格Chapter2 「官は、民と同様の責任を」


東京都民のオアシス日比谷公園から霞が関を臨む。まさの象徴と激動の象徴。

永遠不滅というべきか、国も歴史も古今東西も越えて絶大な権力を持つのが「官」ではないか。日本では俗称を「霞が関」と呼び、事実上、国の行く末のすべてを握っている。
ここでの実権は、東京・本郷にある大学出身であることと、キャリアなる公務員試験にパスした者のみが握る構造が確立されており、なにびともそれを侵すことはできない・・・・と、ここはほぼ伝説化している。
本来、その集団を管理する立場にあるはずは国会だが、あの国民的人気を博した小泉純一郎元総理をもってしても、この壁は壊せなかった、ように思う。郵政民営化も道路公団民営化も、趣旨・総論はともかく、その実体・各論には?を感じざるを得ない。

最近では、自民党を離党した渡辺喜美議員と無所属の江田憲司議員が合体して 「国民運動体」 を立ち上げ、「脱・官」を訴えているほか、民主党の精鋭たちに共通している主眼も脱・官である。自民党にも、いわゆる族議員という枠からは無縁な議員は一貫して脱・官なのだが、どうも党の大勢には敵わない構図が見え隠れする。

かつて渡辺喜美議員が現役の行革担当大臣であったのにも関わらず、つまり、バリバリの主導体制側にいたのにも関わらず官の壁は厚く、彼がまとめた公務員改革案が事実上骨抜きにされたことは記憶に新しい。
それこそが、まさに「官の権力、威力、力学」なのだ。簡単に言えば、自分たちに不都合なことは、たとえ内閣が定めた法令であれ断固阻止してしまう。その壁が比類なく強靭であることを改めて知らされた思いだ。

今、総選挙が近く、報道は専ら「自民対民主」の動向を注視しているが、「麻生さんのバラまき対民主のバラまき」なんてことになったら、この国の行く末は100%真っ暗になること間違いない。
国民が政治権力に何より望んでいることは、安心、安全、活力の再構築であることは疑いのないことだ。政治用語で言えば、安全、社会、経済の各保障をつつがなく遂行することに他ならない。

その根幹を、好むと好まざるとに関わらず官が握っているわけだから、政治が行うべきは、官をつぶすことではなく、官の有効活用ということになる。
言いたくはないけど、彼らには能力はある。問題は、彼らのそのエネルギーがあさっての方向に向けられているからヤバいのだ。
そこで、脱・官議員がやるべきは、党派、党略、政党を超えて、官のルールを徹底して見直すことではないだろうか。

例えば予算。なぜこの時代に各省庁は「使いきり」を旨としてしまうのか。そういう前時代的なルールになっているからだ。それが無駄遣いの温床になっていることは誰が見ても明らかなのだから、使い切ることでなく、上手に使って国家に貢献したら(余らせたら)、逆にインセンティブを与えるようなルールに変えられないものなのだろうか。これなら国民も納得する。

例えば強固な公務員法。民間では、どんなことにも責任が伴う。成功すればよし、失敗すれば何らかのペナルティが課せられる。場合によっては会社にいづらくもなる。公務員にはそれがない。だから民間では到底理解不能な無駄遣いを行っても、そこをとことんメディアから叩かれてもまったく動じない。責任の所在を意図的に(多分)曖昧にしているから火の粉が降りかかってこないからだ。
前述の国民運動体は、そのことなどに関連して、
●給与法の抜本改正による「年功序列賃金」の見直しと総人件費削減 。
●公務員の労働基本権制約緩和による民間並みリストラの実施 。
●国家公務員を10万人削減(道州制と地方ブロック機関の廃止等。現在33万人) 。
●国会議員給与3割、ボーナス5割カット。公務員給与1〜2割カット。
●基礎自治体(市区町村)へ3ゲン(権限・財源・人間)を移譲。立法、課税等の自主権と住民自治の確立。
●各省庁「ひも付き補助金」と地方交付税の廃止。新たな自治体間の財政調整措置の導入。
●10年後を目途に「地域主導型道州制」へ移行。
●国の役割の限定 。
●中央省庁(霞が関)は、外交・安全保障(食糧・エネルギーを含む)、財政・金融、
  社会保障等のナショナルミニマム等だけ残し再々編。「脱中央集権」を実現。
と主張している。まったく賛成だ。でもなぜこれが依然として実現しないのだろうか。あの議員さんたちのほとんどが、党派、政党を超えてそうしたいと思っているのにままならない。こうなるともはや、官の良心(品格)にすがるしかない。
一般国民の多くが疲弊しているのに、彼らだけは守られている。これこそが究極の不条理構図ではないか。ここを冷静に考えれば、官・民はリスクや責任を共有することで、互いに何をも分かち合うことができる。役人根性なんて言葉は死語と化す。それでいいじゃないですか。
所詮は国民や企業からの税収で国は成り立っているのだから、それが無ければ官自体が成立しない。もう、不成立の構図はちょっと先にまできている。
官自らが、変化する実体に対応することとは即ち、捨てたくはないであろう特権意識から決別することだ。それこそが官の、そして権力の品格というものではないだろうか。
2009.04.30記


品格と風格を併せ持つ意匠の建物は旧法務省。今は研究所と資料館となっている。かつて司法の頂点にあったこの建築物は、施行される裁判員制度をどう思うのだろうか。
 
霞が関1丁目の交差点から見る外務省。どの省庁も国会議事堂、首相官邸からわずかの距離だが、この外務省と財務省が一番近い距離にある。権力にも優先順位があるのか!?

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