No.005 ブルーバードH510で過ごした昔のこと

20代後半から30代前半まで私が乗っていた車は知人から中古で譲り受けた1971年のH510で5万キロほどの走行距離だったような記憶です。これを最終的には2回転半弱つまり24万キロ走り最後はパーツ取り用で処分されちゃいました。今その痕跡をとどめているのはオリジナルのステアリングホイールとスペアのSUキャブ、使うことのなかったハイカム等々です。SUツィンキャブのサクションオイルの粘度は季節で気を遣っていたし、点火プラグも夏、冬でヒートレンジを変えて使っていました。

そして工具箱にガラガラとたくさんのガラクタを積んで走ってました。 今の若い世代には死語になっているチョークも始動時のコツ当然が有りました。 冬の深夜、友人にエンジンかけておいてと頼んだところプラグがかぶっちゃった上にバッテリーも使い果たしの状態(バッテリーの寿命も来ていたのでしょうが)夜中にちょっと困りました。懐かしい昔話で今やコツがいる車なんて存在しませんね。 プラグの交換すら特殊工具がなければ不可能なんて車が現代の標準なんですよね。車検時にやれば充分なんでしょうから 。

ヘッドライトやテールのバルブも勿論当時は簡単に自分でできました。街路灯のない山や林道とか走りに行っててタマ切れに遭遇したら、明かりは月明かりだけですから自分で交換できなきゃ話になりません。 その流れに沿って今乗っているW124もヘッドライトはちょっとやっかいですが自分で交換できるように教えてもらいました。ちなみにテールは簡単です。 今は気のせいか、イヤ確かにパンクとタマ切れはうんと少なくなりました。(中には完全に自分ではヘッドライトのバルブ交換が出来ない車も存在しますが)自分で交換できなくても、変なところへ走りに行かない限り日本中、あまり心配ないのでしょうが、それくらいは自分で出来て当たり前と私は思っています。(その為にJAFも有るけどね)


在りし日のH510、どこかの林道でしょか?忘れました。

H510の頃はアフターパーツの色々を試してみるのも楽しみでした。 ヘッドランプも今のように異形ではなく丸形の2灯か4灯ですからシビエ、マーシャル等々いろいろあってどの配光がいいの悪いの友人と情報交換しながら取り替え、そしてテストと称して夜の林道や箱根へ行ったものでした。 ハイビームはドライビングに近いシビエを選択してH4バルブでハイにした時ロー、ハイ同時に点灯するように改造してました。(厳密に言えば明るすぎる違法ですが)

今はそんな楽しみはほとんど皆無。 今の若い世代は幸せなのか不幸なのか?私は楽しみを奪われて不幸だと思っていますが・・・。ハードなブレーキングでもほとんどノーズダイブなしのラリー車直前位までにH510のサスはガチガチにしていました。デフもLSDを入れてそれなりにかつては楽しんでいましたが過去完了形です。運転技術だけは進歩がなく今は静かに走るよう心がけています。年とともにサスもタイヤも快適性能の追求です。でも若いときの名残でサスはノーマルではないのですよ。


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No.001 1971年型H510 Bluebird1800SSSが最初の車でした。
Z432のミラーと同じかも? 車は好きだけど、お金もないしそんなに入れ込めない20代のある時、知人Aさんから譲り受けたクリーム色のH510(1800SSS)セダン。本で調べるとこの車は、1970年デビュー。この年はブルーバード1600SSSが、あのサファリラリーで優勝という快挙を果たした年でもありました。1967年に登場した510も1972年には生産終了し、610に変わっていきます。直列4気筒、SOHC、1770cc、115ps/6000rpm、車重は945kgこれって、今見ても悪くないデータですね。この1800SSSが所有する私の最初の車となりました。何年だったか記憶がはっきりしませんが、逆算すると1976年前後になるのかな…。それは5万キロ程走り込んでいた1971年型で、オーバーサイズでしたが新品のミシュランが履かされていました。(後に純正サイズに戻す) 目が開いて最初に見たのが親、と、鳥の子供じゃないけれど、この後のタイヤは仕事の拘わりを除くと、何故かミシュランばっかり履いてますね。事務所の車で一度ピレリーがありましたけどそれもショップにご指名のタイヤがなくてピレリーになっただけのことです。そういえば国産は、まだ履いたことがないや。(偏ってますね。)「いつかレグノ?」仕事がらコンチネンタルはよく履きました。「昔のコンチネンタルは、コンパウンドが堅め」なんて聞きましたが(90年代僕が使っているときは、もうそんなことはなかったです)ミシュランなんかも時代がさかのぼれば同様ですよね。ヨーロッパでは日本と走行距離が違い、普通の人でも平気で年間3万キロは走っちゃうような環境ですから、そこそこ保たないと困るわけです。どれも必然的に堅めでしょうね。友人のカルマンギアも、ミシュランでしたけどトレッドはまだまだあるのにサイドウオールは、もうひびだらけ状態でしたよ。何年たっても走行距離が知れていますから、減る前にゴム自体がアウトですね。(昔はそうだったんです)タイヤは"生もの"なんだ!!
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No.004 H510に710のミッションを
フットレストや後付けのメーターが分かるでしょうか?ステアリングもナルディとも違うようです。 ミッションの歯車の欠けたパーツ
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No.006 H510のスーパーオスカー
記憶を掘り起こしてみます。ダートにも遊びに行くので、アンダーガードとDATSUNのロゴ入りのマッドフラップを付けました。丸目4灯のヘッドライトはCIBIEに換え、ハイビーム時にはH4バルブのロー、ハイを同時点灯するようにリレーを入れて改造。当時、コレは相当に明るかったと思います。(バルブの寿命は無視です。) ロービームには、イエローバルブを入れている時もありました。補助灯もCIBIE、スーパーオスカーを一発装備。光軸を少し左へ振って路肩を見やすくセッティング。マーシャルよりCIBIEの方が配光がいいの悪いのと、友人と情報交換(雑談)しながら取り替ます。そしてテストと称しては、夜の林道や箱根へと行ったものでした。ちなみに友人の補助灯はマーシャルを付けたのですが、その夜の林道で石にヒットし、片目を潰してしまったのです。バンパー下に吊り下げて取り付けたのが失敗でした。 ヘッドライトやテールのバルブも、プラグも当時は簡単に自分でいろいろ交換できました。街路灯のない、林道とか走りに行っててバルブ切れに遭遇したら、明かりは月明かりだけですから、自分で交換できなきゃ話になりません。(行かなきゃいいんですけど)というわけで、娘にも「バルブくらい、交換の仕方を覚えておきなさい。」なんて言ったものの、娘のスカイラインR32は自分でやることはほとんど無理に近い。ディラーでもそこそこ時間がかかっていました。W124はもちろん自分でできますよ、右目が面倒ですが。(教わってますから) 510のテールレンズは、アカのみでした。スモールとブレーキのW球が片側2個。車検時は戻したけど、視認性を高めるつもりで内側のバルブはブレーキ専用、外側をスモール専門にして使っていました。輝度が上がるより、何もないところにランプがつく方が目立つでしょう。いまのサードブレーキランプは、そういうことですね。ちなみにW124のブレーキランプは、そんなふうになっています。