No.004 H510に710のミッションを

ステアリング
フットレストや後付けのメーターが分かるでしょうか?ステアリングもナルディとも違うようです。
カム
ミッションの歯車の欠けたパーツ

オルガンタイプのアクセルペダルは、ブレーキ、クラッチと共に交換。フットレストも装着。(今の車は、標準でついてますね) クラッチは、ほとんど遊びのない状態にショップで加工、調整してます。踏み込んだ状態から、少しあげるくらいでつながるようにセット。スタビのブッシュも、なんか適当に作ってもらったような記憶があります。アルミホイールは、友人から中古をただ同然でもらいました。確かにバネ下重量が軽くなると、車の動きが機敏になるのは素人の私にも感じることができました。

10年、24万キロH510は、消耗品の交換もすごい。前オーナーがクロスミッションを入れていたというようなことを言ってましたが、走行距離がかさむに連れ、ギアの歯も欠け交換を余儀なくされます。710のミッションを何とか合わせたのかな〜。1〜2回ほど中古品を換装したと思います。オドメーターが2回転半(10万キロの桁はないのです)、約10年、およそ24万キロをこの510と過ごしました。いろんな所へ行きましたが、幼かった娘の記憶にはあまり残ってないようです。(私の実走は、ほぼ10年で約19万キロというところですか)その間、スタータ、ラジエター、ドライブシャフト、デフギア、燃料ホース等々あらゆる消耗品は交換につぐ交換でした。でもエンジンはタフで確か、何もしないで済んでいるはずです。オイルパンのガスケット交換の際、クランクのメタルをついでに見てもらったのですが、「まだまだ平気」という返事でした。キャブレターもオリジナルSUツィンのまま。ウエーバーやソレックスなどに換装し、エアファンネルをつけてキャブの吸気音も聞いてみたかったのですが実現せずでした。(時間有り、お金なしでしたから。)

当時、身近に同型の車を所有しているYさん。ダート走行中クラッシュし、「廃車にするからスペアパーツ取りにどうぞ。」と言う話がありました。「置き場所もないので、とりあえずSUキャブとグリル位でいいよ」と私。あと、未使用のハイカムがある、とのことだったのでそれももらっておきました。そうだLSDももらってそれはすぐに装着しましたよ。ハイカム(データは分かりません。)は、結局使用しないまま今だに手元にあります


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No.006 H510のスーパーオスカー
記憶を掘り起こしてみます。ダートにも遊びに行くので、アンダーガードとDATSUNのロゴ入りのマッドフラップを付けました。丸目4灯のヘッドライトはCIBIEに換え、ハイビーム時にはH4バルブのロー、ハイを同時点灯するようにリレーを入れて改造。当時、コレは相当に明るかったと思います。(バルブの寿命は無視です。) ロービームには、イエローバルブを入れている時もありました。補助灯もCIBIE、スーパーオスカーを一発装備。光軸を少し左へ振って路肩を見やすくセッティング。マーシャルよりCIBIEの方が配光がいいの悪いのと、友人と情報交換(雑談)しながら取り替ます。そしてテストと称しては、夜の林道や箱根へと行ったものでした。ちなみに友人の補助灯はマーシャルを付けたのですが、その夜の林道で石にヒットし、片目を潰してしまったのです。バンパー下に吊り下げて取り付けたのが失敗でした。 ヘッドライトやテールのバルブも、プラグも当時は簡単に自分でいろいろ交換できました。街路灯のない、林道とか走りに行っててバルブ切れに遭遇したら、明かりは月明かりだけですから、自分で交換できなきゃ話になりません。(行かなきゃいいんですけど)というわけで、娘にも「バルブくらい、交換の仕方を覚えておきなさい。」なんて言ったものの、娘のスカイラインR32は自分でやることはほとんど無理に近い。ディラーでもそこそこ時間がかかっていました。W124はもちろん自分でできますよ、右目が面倒ですが。(教わってますから) 510のテールレンズは、アカのみでした。スモールとブレーキのW球が片側2個。車検時は戻したけど、視認性を高めるつもりで内側のバルブはブレーキ専用、外側をスモール専門にして使っていました。輝度が上がるより、何もないところにランプがつく方が目立つでしょう。いまのサードブレーキランプは、そういうことですね。ちなみにW124のブレーキランプは、そんなふうになっています。
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No.001 1971年型H510 Bluebird1800SSSが最初の車でした。
Z432のミラーと同じかも? 車は好きだけど、お金もないしそんなに入れ込めない20代のある時、知人Aさんから譲り受けたクリーム色のH510(1800SSS)セダン。本で調べるとこの車は、1970年デビュー。この年はブルーバード1600SSSが、あのサファリラリーで優勝という快挙を果たした年でもありました。1967年に登場した510も1972年には生産終了し、610に変わっていきます。直列4気筒、SOHC、1770cc、115ps/6000rpm、車重は945kgこれって、今見ても悪くないデータですね。この1800SSSが所有する私の最初の車となりました。何年だったか記憶がはっきりしませんが、逆算すると1976年前後になるのかな…。それは5万キロ程走り込んでいた1971年型で、オーバーサイズでしたが新品のミシュランが履かされていました。(後に純正サイズに戻す) 目が開いて最初に見たのが親、と、鳥の子供じゃないけれど、この後のタイヤは仕事の拘わりを除くと、何故かミシュランばっかり履いてますね。事務所の車で一度ピレリーがありましたけどそれもショップにご指名のタイヤがなくてピレリーになっただけのことです。そういえば国産は、まだ履いたことがないや。(偏ってますね。)「いつかレグノ?」仕事がらコンチネンタルはよく履きました。「昔のコンチネンタルは、コンパウンドが堅め」なんて聞きましたが(90年代僕が使っているときは、もうそんなことはなかったです)ミシュランなんかも時代がさかのぼれば同様ですよね。ヨーロッパでは日本と走行距離が違い、普通の人でも平気で年間3万キロは走っちゃうような環境ですから、そこそこ保たないと困るわけです。どれも必然的に堅めでしょうね。友人のカルマンギアも、ミシュランでしたけどトレッドはまだまだあるのにサイドウオールは、もうひびだらけ状態でしたよ。何年たっても走行距離が知れていますから、減る前にゴム自体がアウトですね。(昔はそうだったんです)タイヤは"生もの"なんだ!!
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No.003 70年代H510何でもできちゃった時代です。
メーター類の追加は電流計、電圧計そして可変レギュレーターをセット。(ライト類をフルに使う場合チャージ量を多くしてあげないと、と思い装着。)チャージ量を強くしたまま、戻し忘れてバッテリーをオーバーチャージで潰したこともありました。点火系もフルトラにし、ハイテンションコードやプラグも変えています。(ポイントヤスリなんかも持ってましたもんね) 後にこれもまた、知人よりいただきのカーコンポをセット。クラリオンのチューナーやアンプなど箱3個くらい吊り下げてました。スピーカーは、リアトレーにボックスタイプのラックスを調達。フロントスピーカーは無しです。取り付け、配線は全部自分でやっちゃいます。8トラックからカセットテープへと変わり、カーステレオ時代黄金期の最中だったでしょうか。(カーオーディオとはまだ言っていませんでした。)音源は、レコードからヴォーカルやジャズなどせっせとダビングします。高温になる車内では、テープのベース素材などが見直され、車専用としてのカセットテープなども発売されていました。 やがて有鉛GASが無くなるというので、ヘッドを無鉛用に改造してもらいました。ステアリングも当然のように交換しています。オリジナルは何故かウッドの3本スポーク、直径は40cmと、でかい!(パワステで無くチカラハンドルは、コレくらい無いと実はたいへん!)今のステアリングと比較すると、昔のはやたらグリップが細い。本を見るとこれは日本車だけでなく海外も古い車は細いですね。 交換したNARDIの革巻き36cmは、革が剥けるほど使い込みました。途中、MOMOかな?32cm位のモノを一時的に使用しましたが、パワステのない時代、1トンに満たない車重とはいえ、縦列駐車に遭遇するとさあたいへんと、いうわけでNARDIIに戻ります。